大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和36年(ラ)81号 決定 1961年8月22日

事実

原審大阪地裁昭和三六年四月四日決定は、つぎのとおり説示して破産申立を却下した。

「一、申立人は被申立人に対し合計一一三万円の為替手形金及び約束手形金債権を有するとして破産申立をしたものであるから、先ず右債権の存否を調べてみる。

(一)証拠によれば、本件為替手形二通の各引受人欄及び約束手形五通の各振出人欄にはそれぞれ「大阪市東区谷町一丁目四二の一高椋準平」と表示され、その名下に「株式会社表代表取締役之印」なる印章が押されていることが認められる。

(二)右のような手形引受人欄及び振出人欄の記載(押印を含む)がある場合果して「高椋準平個人」又は法人たる「株式会社表」のいづれの手形行為と認むべきものであろうか。

一般に、法人の代表者が法人を代表して手形行為をする場合には代表資格を表示して手形に署名又は記名押印すべく、代表資格の表示については多くの場合法人名及び代表権限を有する地位職名を表わす文言を記載してなされるのが普通であるが、これに限ることなく本人たる法人のためにすることを認識しうるような記載があればよいと解されるから、振出人欄、引受人欄の記載(押印を含む)の全趣旨によつて代表振出或いは引受の事実が窺われれば足るものというべく、従つてなんらの肩書の記載がなくとも、名下の職印によつても代表関係の表示を認定しうる場合がないとはいえない。

してみると、前認定のような本件為替手形の引受人欄の記載(押印を含む)及び約束手形の振出人欄の記載(押印を含む)は、代表資格を表示する肩書文言の記載は全くないけれどもその記載の全趣旨から株式会社表を代表した振出、引受の事実を認めるに十分であり、とうてい「高椋準平」個人の署名と解することはできない。

(三)省略

二、以上の次第で被申立人に対し破産の宣告を求める本件申立は、その前提たる被申立人に対する破産債権の存在が認められないから、既にその点において失当であり却下を免れない。」

抗告人はつぎのとおりの抗告理由を主張した。

「一、(省略)しかしながら、手形の文言証券性からいつて、法人の手形行為というためには記名欄に法人名、及びその代表資格を有する地位、職名の表示が必要である。捺印された印影は上記されている記名が記名されている者の意思に基いてなされたか否かを確認する方法にすぎないものであり、あくまでも記名に附属するものである。特に本件手形が振出(引受)された当時、高椋準平個人の住所も前記谷町一丁目四二の一であつた(甲八号登記簿謄本)のであるから住所の記載面からこれを会社振出(引受)の手形と判定することはできない。記名捺印という手形行為形式にあつては記名と印章の表示とは必ずしも明確に一致する必要はないのであり(大判昭和八年九月十五日民集一二巻二一号二一六八頁)、本件手形についても、高椋準平が自己の個人印として「株式会社表代表取締役印」なる印章を使用したものと解することができるのである。即ち本件手形振出と同じ頃振出された疎甲第十、十一号証の約束手形二通(金額百万円のものと二十六万円のもの)の振出人欄に「高椋準平」個人名の記載「株式会社表代表取締役印」の印影、裏面裏書人欄に「株式会社表代表取締役高椋準平」の記載「株式会社表代表取締役印」の印影(この裏書部分の印影と振出部分の印影とは型が異なるものであり、本件七通の手形に用いられている印影は右甲第十、十一号証の振出部分の印影に同じである。)があることから見れば、高椋準平は本件手形振出当時会社代表者としての手形行為と個人としての手形行為を明確に区別して使つており、又本件七通の手形に押捺された「株式会社表代表取締役印」なる印章は高椋準平個人の印章として便宜使用されていたものと見るのが相当である。

二、仮に「株式会社表代表取締役印」なる印影を手形行為者が誰かということを決める一つの資料として考慮するとしても法人の手形行為としては法人名及び代表権限を有する地位職名を表わす文言(印章による表示とは別に記名欄の肩書として)を記載してなされるのが普通であり、この点は原決定も認めるところである。元来手形譲受人は手形行為者が法人であるか個人であるかを判断する場合通常記名欄に附される肩書による場合が多く記名欄が個人であるときは印影についてはあまり注意をはらわないものであつて(個人の印影にしろ、会社の印影にしろ、印影の中には一見判読できない型のものが多いことが原因している)、前述の手形の文言証券性からいつて原決定のように「とうてい高椋準平個人の署名と解しえない」というのはいいすぎではなかろうか。記名欄に会社名その代表機関たる資格の記載の全くない本件にあつては少なくとも高椋準平個人の振出(引受)か、株式会社表の代表者としての振出(引受)かいずれとも判別しがたい事案というべきであろう。法人代表者が代表振出又は個人振出のいずれとも認められる余地のある表示によつて手形を振出(引受)した場合、手形所持人はその選択により法人もしくは個人のいずれに対しても振出人(引受人)の責任を追求できることは判例も認めるところであり(東京高裁昭和三十三年十月十五日判決、下級裁判所民事裁判例集第九巻十号二一〇八頁)、手形の文言証券性とも合致するところである。抗告人が高椋準平個人に対し責任を追求している本件手形については高椋準平はその責任を免れられない。原決定には右高裁判例に違反する違法がある。(後略)」

理由

原審は、疎明資料に基づいて次のように事実を認定し、かつ判断した。

抗告人は高椋準平に対し疎甲第一、二号証の為替手形二通、疎甲第三号証から第七号証までの約束手形五通に基づく手形金債権合計一一三万円を有するものとして破産宣告の申立をした。右為替手形二通の引受人欄と約束手形五通の振出人欄とにはそれぞれ「大阪市東区谷町一丁目四二の一高椋準平」の記載があつて、その名下に株式会社表代表取締役印」の文字を表示する印が押されているところ、右記名押印は「株式会社表」を代表する表示であつて、高椋準平個人を表示するものではないと解すべきであるから、結局高椋準平個人に対する債権の疎明がないものというべきである。以上のように認定し、かつ判断した。

思うに、法人の代表者が法人のために手形行為をする場合、形式的要件として法人のためにすることの記載が必要であつて、その記載は、必ずしも明示的に、たとえば肩書に「何々株式会社代表取締役」と記載するなど代表の文字を用いることを必要とせず、代表者の署名(記名捺印を含む。)行為が代表者自身のためのものでなく、法人のためのものであることが、手形の記載上、黙示的に認められるものであつても差支ない。そしてそれが黙示的に法人のためにするものであるか否かは、取引の一般社会通念によつて、これを定めるほかはない。疎甲第一、第二号証の為替手形二通の記載によると、その支払人欄には住所を示す「大阪市東区谷町一丁目四二ノ一」のゴム印と「高椋準平」のゴム印とが二行になつて押されており、引受人欄にはいずれも右と同様の住所を示すゴム印と「高椋準平」のゴム印とが二行になつて押されているほか、その名下に直径約一・六センチメートルの、三行(一行四字)にわたる「株式会社表代表取締役之印」の文字を表示する円形の印が押されていることが認められ、疎甲第三号証から第七号証までの約束手形五通の記載によると、その振出人欄に前同様の住所を示すゴム印と「高椋準平」のゴ厶印とが押され、その名下に前同様の円形の印が押されていることが認められる。およそ手形に記名押印がなされる場合、その押印は自己の印として使用されるものが押されることで十分であつて、その記名と関連性のある文字を表示するものであることは必ずしも必要でないと解すべきである(大審院昭和八年九月一五日判・民集一二巻二一七〇ページ参照)から、個人の氏名の下に法人の代表者を示す印が押されているからといつて、直ちにその記名押印をもつて法人を代表する表示と解することはできない。もつとも、たとえば銀行の支店長などのように、肩書を付記しないその氏名の下に、その個人のためにするものとして、法人を代理または代表する文字を表示する印を押すことは通常あり得ないと認められる場合は、その記名と法人を代理または代表する文字を表示する印による押印とをもつて法人を代理または代表するものと解すべきである(大阪地裁昭和三年五月二二日判法律新聞二八五五号一四ページ参照)。本件についてこれをみるに、前示認定の「高椋準平」名下の印は、その氏名と関連性がないけれども、それぞれ前示各手形の記載に照らし、高椋準平がその個人のためにするものとして使用されることはあり得ないものとは認められない。してみると、疎甲第一、第二号証の為替手形の各引受人欄と疎甲第三号証から第七号証までの約束手形の各振出人欄との前示各記名押印は高椋準平個人を表示するものと認めるのが相当である。

そうすると、右認定と異なる原決定は失当であつて取消を免れないというべきである。しかしながら、原審記録によると、前示記名押印は高椋準平が直接みずからしたものではなく、第三者がしたものであることがうかがわれるのであつて、もしそうであるとすると、代理権等権限のある第三者がこれをしたものか否かについて、なお審理する必要があるばかりでなく、また高椋準平が前示各手形債務を負担すべきものと認められた場合、同人が一般的に支払不能の状態にあるか否かについて、なお審理する必要があるものといわなければならない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例